ばっすい3
VTuberをやる方の立場を考えると、二つ、大きな特徴がある。
一つ目は、自分はこのキャラクターであるがこのキャラクターでないということだ。例えば、富士葵のキャラクターを演じる人は富士葵そのものではない。電脳少女シロを演じる人も、電脳少女シロそのものではない。これは極めて当然のことだ。これはVTuberの話題においてはタブーとされることもあるが、私はそんなのは極めてどうでもいいと思う。そのタブーは単に『よいこのおやくそく』でしかない。
何にせよ、VTuberのキャラクターを象徴するアクター(アクトレス)は、キャラクターそのものではない。彼女たちは自己紹介をするたびに、そのキャラクターになり、収録や配信が終わるたびに、元の人に戻る。VTuberの魅力というのは、富士葵からにじみ出るそのアクトレス(アクター)の人格にもある。電脳少女シロがウケたのは、演者のパーソナリティによるところも大きいだろう。電脳少女なのに伝記を読むんだね、とか、「電脳そぼろ丼を食べたんです」(電脳世界何でもある説)とか、そういうシュールさを楽しむ視聴者は多かった。